ウィーンのリュート音楽
ウィーンのリュート音楽
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カタログ番号: CD-16317
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アルバムの詳細情報
トラックリスト
「 ウィーンのリュート音楽 」のトラックリスト
フランソワ (アダム フランツ) ギンター (1671–1706) F. ギンター
組曲 ホ短調 組曲: ホ短調
01. アルマンド アルマンド 4:00
02. クーラント クーラント 2:49
03.サラバンドサラバンド 3:01
04. メヌエット メヌエット 1:28
05. ブーレ ブーレ1:44
06. ジーグ ジグ3:21
ジャック・アレクサンドル・ド・サン・リュック (1663–ca. 1710) J. ド・サン・リュク
嬰ヘ短調組曲 組曲: F#マイナー
07. Tombeau de Mr. François Ginter フランソワ・ギンタ―氏に捧げるトンボー4:24
08.クーラントクーラント2:25
09.サラバンドサラバンド3:55
10. ジーグ ジグ3:07
11. ガヴォット ガヴォット1:36
12. メヌエット メヌエット1:54
ヨハン・ゲオルク・ヴァイヒェンベルガー (1676–1740) JG ヴァイヒェンベルガー
Suite in G Major 組曲: Gメジャー
13.プレリュード プレリュード3:00
14. アレマンド アルマンド4:34
15.クーラントクーラント2:57
16. ブーレ ブーレ1:59
17. Menuet en Rondeau ロンド風メヌエット2:27
18. サラバンド サラバンド3:02
19. ジーグ ジグ2:41
20. ペイザンヌ ペイザンヌ2:11
匿名 (18 世紀) 著者不詳
21. シチリアーナ / Adagio シチリアーナ (アダージョ)5:37
合計時間 62:24
CDブックレット
ウィーンのリュート音楽
ウィーンと言えば音楽の都としてウィーン少年合唱団、モーツァルト、或いはヨハン・シュトラウスのような華やかなイメージが強いと思います。ウィーン少年合唱団は今では、オーストリーだけでなく、様々な国からの美声の少年で編成されているようです。少年が美声を保てるのは、成長に従ってホルモンの影響で声変わりする、15歳前後までです。かつてはその美声を一生保つために変声期前に去勢することが行われました。いわゆるカストラートと呼ばれる男性のソプラノで、主にイタリアで行われました。もちろん今日では禁止されています。カストラートは堂々たる男性の肉体、髭の無い滑らかな肌、天使のごとく高い美しい声を合わせ持って、「神と人間と音楽とが一体となった聖なるもの」とまで言われました。しかし、その華やかな名声と豊かな生活を得ることが出来たカストラートは一握りで、大半は貧困からの脱却手段として親の意思で去勢されました。バロック時代には年間4千人もの少年が手術を受けたと言います。話が逸れましたが、その華やかな宮廷合唱団が存在する一方でリュートの世界はどうだったのでしょうか。
この録音の最初に出てくるフランソワ・ギンター(François Ginter 1671–1706)は本名をアダム・フランツ・ギンター(Adam Franz Ginter)というウィーン宮廷合唱団のソプラノ歌手でした。少年の時から美声の持ち主であったウィーン生まれのギンターは15歳の頃にカストラートになりました。美少年では無かった為、周りには反対する人が多かったそうですが、父親の意思でカストラートにされてしまったようです。そのギンタ―はカストラートとしての活動はほとんど記録には残っていませんが、リュート奏者としてはどんな存在だったのでしょうか。当時ウィーンで最も高名なリュート奏者の一人であったサンリュク(後述)が彼にトンボー(“Tombeau de Francois Ginter”)を捧げていることから、かなり優れたリュート奏者もであったことが伺われます。現在残るギンタ―の作品は多くはなく、完全な組曲の形で残っているものはここに収録されたEマイナーのみです。カストラートはホルモンの関係で総じて体がアンバランスに大きくなり、短命な場合が多かったと言われます。ギンターは35歳で亡くなっています。この組曲は恐らく彼の晩年、と言ってもまだ若いですが、の作品と思われます。カストラートとして宿命の様なものを背負って生きた人間の、奥深く複雑な想いが託された感動的な作品と言えるでしょう。35歳の音楽家によるものではなく、まるで70歳くらいのリュート奏者の作品の様に感じられます。もしギンターがカストラートにならずリュート奏者としての人生を送ったとしたら、もっと長く生きて、この組曲のような素晴らしい作品を数多く残したかも知れません。この組曲はアルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット、ブーレ、ジグの6つの舞曲から構成されています。最後の曲ジグはアルマンド風ジグ(Allemande Giguée 又は Gigue grave)と呼ばれるもので、ゆったりとしたテンポのジグです。老ゴーティエ(Vieux Gaultier = Ennemond Gaultier)の有名なジグ「メサンジョーの遺言」(Gigue „Testament de Mesangeau“)と同様の作品で、ギンター自身の遺言(Testament)であるように思われます。
1700年頃のウィーンには数多くのリュート奏者が集まる所でしたが、その中でも最も評判が高かった一人がジャック・アレクサンドル・サンリュク(Jacques-Alexandre Saint-Luc 1663–1710以降)です。当時ヨーロッパ全土で最も高名だったヴァイス(Sylvius Leopold Weiss 1687–1750) とウィーンでは並び称されています。ベルギーのブリュッセル出身であるサンリュクはパリのルイ14世の宮廷で短期間活躍した後、1700年にベルリン経由でウィーンへ行き、オイゲン公(Prinz Eugen von Savoyen)に仕えます。オイゲン公はウィーンの宮廷に仕え、オスマントルコ軍やフランス軍と戦って多くの勝利を収めたフランスの貴族出身の将軍です。そのサンリュクがギンターに捧げる「トンボー」(“Tombeau de Mr. François Ginter”)を作曲しました。組曲f#マイナーの最初の舞曲「アルマンド」がそれです。タイトルにギンターのドイツ語名アダム・フランツを使わないでフランス語名のフランソワとしたのは、「トンボー」が17世紀フランスの最も重要な音楽様式の1つであったためです。言わばシンボル的なものです。軽快な曲の作者として有名なサンリュクですが、この組曲は珍しくすべての舞曲がリュートの高音域を使わないで書かれています。ギンターのソプラノ歌手としての華やかな面ではなく、宿命的な人生を顧みているような作品です。サンリュクは1616年に生まれて1717年に亡くなったという研究者もいます。この「トンボー」は別の手稿では “Tombeau sur la mort de Mr. François Ginter” となっていて、明らかにギンターの死(1706年)を悼んで作られているので、この場合サンリュクは90歳と言うことになります。センセーショナルですが、現実的とは思われません。もしそうであれば当時も一大トピックとして取り上げられたに違いないからです。残念ながらそう言った記録は残っていません。サンリュクには家族として Jacques, Jacque-Alexandre, Laurent 等の名前があり、実際に何人であったのかもはっきりとは分かっていません。ここでは演奏に使用したプラハ手稿の表紙のタイトルから Jacque-Alexandre を使いました。このF#マイナーの組曲はトンボー(アルマンド)、クーラント、サラバンド、ジグ、ガヴォット、メヌエットの6曲で構成されています。中でもクーラントとメヌエットは sans chanterelle と呼ばれ、リュートの第1弦(最高音弦)を使わない作品です。特にメヌエットは暗闇に漂うような幻想的な曲です。
打って変わって明るく華やかな次の組曲Gメジャーはヨハン・ゲオルク・ヴァイヒェンベルガー(Johann Georg Weichenberger 1676–1740)の作です。ヴァイヒェンベルガーはオーストリーのグラーツに生まれ、後にウィーンの宮廷簿記係を務めたリュート奏者です。当時の音楽家にとって別の職業を持つことは珍しいことではなく、教会付きのオルガン奏者や、宮廷付きの音楽家以外は専業音楽家の方が少なかったのです。ヴァイヒェンベルガーの初期の作品には上記のギンターやサンリュクのようにフランス様式の影響の強いものもありますが、この組曲は「華麗なる様式」(Gallant Style)と呼ばれるもので、ヴァイスの作品などに共通するものです。晩年の作と思われます。ヴァイスが1720年頃に13コースのリュートを使い始めた為、その後のドイツ語圏では競って13コースリュートが使われるようになって行きます。しかし、ヴァイスより僅か10歳年上のヴァイヒェンベルガーは最後まで11コースのフランス式リュートを使いました。彼の作品の特徴はその旋律の美しさにあります。この組曲はアルマンド、クーラント、ロンド風メヌエット、サラバンド、ジグ、ペイザンヌの6曲で構成されていますが、この録音では冒頭に別の手稿からプレリュードが加えられています。このメヌエットなどはまるで近い将来にモーツアルトの出現を予測するかのような作品です。
CD最後の曲は作者不詳のEマイナーのシチリアーナです。シチリアーナはイタリアのシチリー島で生まれた舞曲ですが、南欧地中海に浮かぶ船が好天に恵まれてのんびりと揺れ動いている様なのどかな曲です。アダージョ(ゆったりと)というテンポの指示があります。やはり11コースのフランス式リュートのために作られています。誰の作品かは分かりませんが、和声的な作風やテンポ指示などから、恐らく18世紀前半に作られたものと思われます。18世紀末のモーツァルト時代から20世紀にかけてヨーロッパ最大の「音楽の都」となって栄えるウィーンの将来を匂わせるかの様な雰囲気を持った美しい曲です。ウィーンに残っている手稿からです。
このCDの演奏に使われたオリジナル・リュートは、ウィーンではありませんが、同じドイツ語圏の古い大学町インゴルシュタット(Ingolstadt)でグライフ(Laurentius Greiff)によって1611年にルネサンスリュートとして作られました。そして1673年に11コースのフランス式(バロック)リュートに改造された後、オーストリーとの国境近辺の貴族の館に20世紀末まで保存されていたものです。17世紀にウィーンに集まった数多くのリュート奏者の誰かがこの「グライフ」を弾いた可能性も無いとは言えません。そのノスタルジックなイメージをこれらの作品とも共有できるように思います。もちろん使用弦も当時使われた様なガット弦です。
佐藤豊彦
記録情報
2017年11月14日〜16日録画
場所:霧島国際コンサートホール「みやまコンセール」(日本)
バランスエンジニア兼レコーディングプロデューサー: Jonas Niederstadt
コーポレートデザイン: Tim+Tim、timandtim.com
表紙写真:マリオン・デニス
ブックレット写真撮影:ヨナス・ニーダーシュタット
翻訳:佐藤美紀 / ヨナス・ニーダーシュタット
プロデューサー:ジョナス・ニーダーシュタット
© 2018 カルペディエムレコード
プレスレビュー
アメリカンレコードガイド
これは、17世紀末から18世紀初頭にかけて作曲された、盛期バロックのウィーン・リュート楽派に捧げられた美しいプログラムです。佐藤が演奏するジャック=アレクサンドル・ド・サン=リュック(1663-1710年頃)の組曲「嬰ヘ短調」は、プログラムに名を連ねる4人のリュート奏者の中で唯一、ヴェルサイユ宮殿で演奏した偉大なリュート奏者の中で、ルイ14世に仕えた人物です。しかし、プログラムのほとんどの曲はフランスのリュート楽派の影響を受けているようです。フランソワ(アダム・フランツ)・ギンター(1671-1706)の組曲「ホ短調」は、表現力豊かなアポジャトゥーラやその他の洗練された音形表現など、同時代のフランス音楽のスタイルを受け継いでいます。プログラムには、ヨハン・ゲオルク・ヴァイヒェンベルガー(1676-1740)の組曲「ト長調」や、匿名の作曲家による「ト短調」も含まれています。 18世紀の『シチリアナ』。
佐藤豊彦の演奏は繊細で、感情に満ち溢れています。フランソワ・ジャンターへの感動的なトリビュートという彼の感情は、彼の演奏にも反映されているようです。音楽のテンポ、特定の和声進行へのこだわり、フレーズの展開、そしてメロディーを奏でる手腕は、まるで作曲家の魂にまで届くかのようです。© 2019 アメリカンレコードガイド
スケルツォ誌
佐藤豊彦については、もはや説明の必要はないでしょう。彼は、ほぼ初期から、バロック音楽の理解を永遠に変革した若き起業家集団の一員として、誰もが知る日本人音楽家の一人です。ソリストとして、あるいは様々な専門グループの通奏低音奏者として、彼は長く堅実なレコーディング・キャリアを誇り、生物学的な成熟期を過ぎた今、時折、ユニークな作品を発表することで、そのキャリアに新たな息吹を吹き込んでいます。今回は、17世紀末から18世紀前半にかけてウィーン帝政期を拠点に活躍した音楽家による、非常に珍しい作品を選曲しています。
その筆頭がアダム・フランツ・ギンター(1671-1706)です。ウィーン出身の歌手で、15歳で去勢されましたが、リュートのための作品もいくつか残しています。その中には、ここで取り上げた組曲も含まれています。この組曲は、彼の作品の中で唯一全曲が現存し、複雑さと深みを示すものです。ベルギー出身のジャック=アレクサンドル・ド・サン=リュック(1663-1710頃)は、すでに著名な演奏家としてウィーンに渡り、当然の人気を博しました。彼の比較的軽妙な音楽は高く評価されましたが、ここで取り上げた作品は、ギンターの追悼に捧げられたトンボーで始まり、むしろ思索的で親密な雰囲気を醸し出しています。ヨハン・ゲオルク・ヴァイヒェンベルガーは、リュート奏者であり、帝国政府の会計士でもありました。グラーツ生まれの彼は、卓越した旋律感覚の持ち主で、ここで取り上げた組曲はその才能を見事に体現しています。アルバムは美しい無名の舞曲(シチリアーノ)で締めくくられますが、アルバムの他の曲と同様に、佐藤はこの曲にも、演奏家としての豊富な経験に基づく、抑制された感情、静寂、深み、そして音楽性をもってアプローチしています。撥弦楽器愛好家の皆様にきっとご満足いただける、非常に美しいアルバムです。© 2019 スケルツォ