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神の修辞学

神の修辞学

佐藤豊彦
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このアルバムで、リュート奏者の佐藤豊彦は、フランス・バロック・リュート音楽の中でも最も有名かつ謎めいた作品の一つ、ドゥニ・ゴルチエ(1603-1672)の作品集『神々の修辞学』に挑戦します。佐藤の解釈は、この音楽の深遠な簡素さと明晰さに完全に委ねられています。彼にとってこの音楽は日本の禅の精神を体現しており、技巧や感情ではなく、むしろ音と音の間の空虚さ、ありのままの演奏に向き合うことで初めて輝き始めるのです。

リリース日:

カタログ番号: CD-16331

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アルバムの詳細情報

トラックリスト

「 神の修辞学 」のトラックリスト

Suite Aメジャー組曲Aメジャー
01. プレリュード プレリュード 1:26
02. Allemande 'Andromede' アルマンド「アンドロメダ」 3:15
03. Courante 'La Coquette virtuosa' クーラント「貞潔な浮気女」2:33
04. Gigue 'Atalante' ジグ「アタランテ」1:43
05. Chaconne en Rondeau ロンド風シャコンヌ5:11

Suite D Major 組曲Dメジャー
06. Pavane 'La Dedicasse' パヴァーヌ「献辞」4:53
07. Courante 'Minerve' クーラント「ミネルウァ」2:37
08.サラバンドサラバンド2:49
09. Gigue 'La Panegrique' ジグ「賛辞」2:29

Suite F メジャー 組曲 F メジャー
10. Allemande 'Appolon' アルマンド「雄弁家アポロン」3:52
11.クーラント クーラント&ドゥブル4:03
12. Sarabande 'Diane au bois' サラバンド「森のディアーナ」3:57
13.カナリー カナリー3:45

組曲イ短調 組曲Aマイナー
14. プレリュード プレリュード1:25
15. Allemande 'Orphée' アルマンド「オルぺウス」4:21
16. Courante 'L'Homicide' クーラント「苦殺美人」3:15
17. サラバンド サラバンド3:24
18. Gigue 'Eco' ジグ「エコー」2:26
19. 「La Resolution des amis du S'Lenclos sur sa mort」友人ランクロの死への解答 4:27

CDブックレット

神々の雄弁術

ここに1冊のリュート曲集があります。タイトルは「神々の雄弁術」(La Rhétorique des Dieux)で1652頃に作られたようです。ここで言う神々はギリシャ神話とローマ神話に出てくるものです。日本も昔から八百万(やおよろず)の神々と言われるように多くの神がいます。この曲集には例外的に従兄であるエネモン・ゴーティ (Ennemond Gaultier 1575–1651)の作と言われる曲がありますが、基本的にはすべてドニ・ゴーティエ(Denis Gaultier 1603–1672)の作品です。この曲集の製作者(ドニ・ゴーティエのパトロン?)はヨーロッパ文化の原点であるギリシャ・ローマと17世紀半ばのフランス文化におけるドニ・ゴーティエの音楽を結び付けたかったのではないかと思われます。

羊皮紙で作られたこの曲集は序文に立派な詩集(ソネット)があったり、あちこちに素晴らしい版画の挿絵があります。しかし、何と言ってもこの曲集の最大の特徴は、17世紀のフランス・リュート音楽特有のあまたの装飾が収録されている曲には見られ無いことです。ほぼ全曲が(数か所の例外を除いて)一切の装飾無しです。しかもタイトルさえ書かれてない曲もかなりあります。その意味では未完成の曲集と言えます。後でタイトルや装飾を書き加えようとしてそのままになってしまった、とも考えられます。そう考えるのが自然かもしれません。しかし、私はそこからむしろ基本的な「心に通じる簡素さ」=原点、つまり日本で言う禅の究極である無の心を感じました。もちろん禅の無はゼロではありません。無限の意味ですら含まれています。つまり、この曲集の製作者は、一方ではドニ・ゴーティエがいかに素晴らしい音楽家であるかということを表現しながらも、彼の作品に自分流の装飾を勝手に付けることを恐れ多いと感じたと同時に、作品がいかに優れているかをそのままで見せたかったのではないかと想像するのです。

例えばこの録音の第15曲であるアルマンド「オルペウス」です。オルぺウスはギリシャ神話に出てくる吟遊詩人で竪琴の名手です。竪琴の名手オルぺウスは、結婚してまもなく最愛の妻エウリディケを亡くします。妻を忘れることのできない彼は、彼の竪琴の名演奏で、生者が入ることは出来ない死者の世界(あの世)へ妻を連れ戻しに行きます。オルぺウスの演奏に心を動かされた冥界の王はエウリディケが地上へ戻ることを許します。ただし、冥界を出るまではオルぺウスの後ろを付いて来るエウリディケを振り向いて見てはいけないという条件で。出口が近づいた時、後ろにいるはずの妻の足音が聞こえなくなって不安になったオルぺウスは振り向いてしまいます。妻は居ましたが瞬く間に冥界の奥へ引き戻されました。地上に戻っても竪琴を弾きながら嘆きの歌を歌い続けたオルぺウスは、ついに命を奪われてしまい、竪琴は最高神ゼウスによって琴座として天に加えられました。

実はこの話は西暦712年に太安万侶によって編集された日本の「古事記」に登場するイザナギとイザナミの話とよく似ています。恐らくこのような伝説は世界中にあるものと思われます。実はこのアルマンド「オルぺウス」には1600年頃のヨーロッパ随一のリュートの名手と言われるジョン・ダウランド(John Dowland 1563–1626)の名曲中の名曲「涙のパヴァーヌ(Lachrimae)」=リュートソングでは「流れよわが涙(Flow my tears)」
の旋律が何度も使われています。しかし装飾を加えて演奏するとこれに気付くのは難しいです。
(p.14譜例参照)加えて、「流れよわが涙」の歌詞はオルぺウスが冥界から地上に戻って嘆き歌っている時の様にも思えます。

もちろんこの曲集の曲がすべて悲しいわけではありません。この録音では第15曲の「オルぺウス」の他に第2曲にはギリシャ神話に出てくる女性で後に星座になった「アンドロメダ」や第4曲の美貌で知られる俊足の女狩人「アタランテ」、10曲には芸術の神「アポロン」が、そして第18曲には美しい青年ナルキッソスに恋をしながらも自らの言葉を発するのを封じられて末尾を繰り返すのみに成り果てたニンフ「エコー」が登場します。さらにローマ神話からは第7曲の芸術の神「ミネルウァ(俗ラテン語でミネルヴァ)」や第12曲に月の女神「ディアーネ」も登場します。それらと正反対の性格を持った第16曲の「悩殺美人」(エネモン・ゴーティエ作)の様に素晴らしくなまめかしい世俗的な曲もあります。17世紀初頭にフランスの宮廷で流行した当時の貴族が唯一カップルとして抱き合って踊ることが許された、とてもゆったりしたテンポの舞曲ヴォルト(Volte)にも似ていると思います。第3曲「貞潔な浮気女」も(いくらか軽快ですが)同じように冗談っぽい曲と言えるでしょう。或いは最終曲(第19曲)の「友人ランクロの死への解答」といったドニ・ゴーティエの個人的な曲もあります。第6曲の「献辞」や第9曲の「賛辞」はドニ・ゴーティエの神々への尊敬の念を表わす賛辞・献辞である、と曲集の製作者は各曲の下に書き加えています。

このように色々な時代を乗り越えた所に崇高な或いは庶民的な神々を求めたとしたら、日本の八百万の神々に近いことになります。これはこの曲集が作られたキリスト教一神教時代のヨーロッパ、特にカトリック信仰の強かったフランスでは珍しい現象と言えます。それこそが禅の究極の無であると私は思います。そう言う意味で今回は繰り返しのあるすべての舞曲において1回目は装飾をしないで演奏を試みました。繰り返しでは今までの様に自分なりの装飾をして演奏しました。2曲のプレリュードは繰り返しが無いので装飾無しです。不思議なことに装飾無しで演奏した方が私にはその曲に対する強い印象を受けます。それは根本・原点を見る思いだからです。もちろん装飾された曲もそれはそれで美しいと思います。それで、ほとんどの曲の終わりにP.R.(peteite reprise=小さな繰り返し)を加えて、改めて装飾無しの数小節を演奏することにしました。原点に戻るという意味です。

そしてもう1つ、曲のテンポに関することです。17世紀フランスのこれらの曲の大半が短い曲であることが今まで疑問であり続けました。しかし、今回これらを出来るだけゆっくり演奏することで疑問が解けました。つまり遅いテンポで1つずつの音にニュアンスやタイミングを持たせて表現すると決して短い曲では無いし、長い曲は書けないということです。それが17世紀フランスの「ブリゼ様式」が後のドイツ語圏におけるセクエンツ(反復進行)の多い「ガラント様式」と基本的に音楽へのアプローチの仕方が異なる点であると思います。

日本で言う八百万の神々とは必ずしも神聖なものだけではありません。その中には人生のありとあらゆる快楽や苦悩も含まれています。しかし一人の人間がその人生を生きるとなるとある意味で1つの方向性も必要です。禅語に「一箭中紅心(いっせんこうしんにあたる)」というのがあります。「たった一本の矢で人生の目標である心の中心を射当てる。」という意味です。言い換えると、自分の思うこと感じることを一生貫くということになります。東西を問わず世界の文化人、とりわけ芸術家には共通することではないかと思います。そして「座禅」とは、静かに姿勢を正して座り、自分自身を見つめ直すことです。1つの事に心を注ぐことで、執着や思い込みを捨て、雑念の無い心で自分や物事を捉えられるようになることを目指します。この心こそが作品を先ず装飾無しで見つめ(演奏してみる)ることではないでしょうか。そしてそれに美しく装飾して演奏することが「雄弁術」であると思います。

追記:

この曲集は12の教会旋法に分けられていますが、その中のリディア旋法(ファから始まる音階)には曲がありません。これはこの旋法では主音と第4音の間隔が増音程となるため、中世のヨーロッパでは「悪魔の旋法」と呼ばれ嫌われたことにあるのかも知れません。それはともあれ、他の旋法に振り分けられた曲を見ても私にはそれらの関連性の意味が理解できない部分があります。さらに、これだけギリシャやローマにこだわるなら、本来は紀元前8世紀にピタゴラスが考案した調律法が使われるべきと思います。この調律法はヨーロッパでは考案されてから約2千年も後(紀元10世紀頃)になってやっと理解されました。しかし、ピタゴラスの調率法は17世紀ヨーロッパでは全く使われなくなっています。それは純正調における♯とbの関係が真逆になってしまうからです。それでも私は一応はピタゴラスの調律法でこれらの曲を演奏する試みもしました。しかし、ドニ・ゴーティエやその時代の他のリュート奏者の曲集を見ると、あり得ないことです。この曲集におけるこの辺りの疑問は私には解決できないままです。それがまたこの曲集を特別なものにしているとも言えます。

佐藤豊彦

記録情報

佐藤豊彦は、1611 年にローレンティウス・グライフが製作したオリジナルのバロックリュートを演奏します。

2022年11月14日~17日録画

場所: 佐賀県有田市炎の博記念堂文化ホール
バランスエンジニア兼レコーディングプロデューサー: Jonas Niederstadt
表紙書道:松渓独湛独湛性螢(1628–1706)
ブックレット写真撮影:ヨナス・ニーダーシュタット
英語翻訳:佐藤美紀

プロデューサー:ジョナス・ニーダーシュタット

© 2023 カルペディエムレコード

プレスレビュー