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Akira Ifukube: Gilyak Songs

Akira Ifukube: Gilyak Songs

Chiyomi Yamada
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Chiyomi Yamada - Sopran
Reiko Yamada - Klavier

Klavierlieder des japanischen Komponisten Akira Ifukube (1914-2006), interpretiert von Chiyomi Yamada, Gesang, und Reiko Yamada, Klavier.

Ifukube, der auch die Titelmelodie von "Godzilla" komponierte, schrieb diese zauberhaften Stücke auf der Grundlage traditioneller Lieder der indigenen Stämme im Norden Japans. Klang und Stil dieser Musik liegen irgendwo zwischen westlicher zeitgenössischer und östlicher traditioneller Musik, wodurch eine einzigartige Verschmelzung von musikalischen und ästhetischen Elementen entsteht.

Die Klavierstücke werden ergänzt durch ein episches Stück für klassische Gitarre solo von Ifukube, gespielt von dem niederländischen Gitarristen David van Ooijen.

Übersetzt mit DeepL.com (kostenlose Version)

Erschienen am:

Katalognummer: CD-16316

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tracklist

Tracklist von "Akira Ifukube: Gilyak Songs"

Ancient folk songs of Gilyak Tribes (1946) ギリヤーク族の古き吟誦歌
Lyrics: Akira Ifukube 伊福部昭 詩

1. ai ai gomteira アイ アイ ゴムテイラ 02:08
2. takkar 彼方の河び 04:52
3. ujunğajujana 苔桃の果拾ふ女の歌 04:50
4. lokoru: ja 熊祭に行く人を送る歌 06:03

5. Tōka, Cantilena Ballabile sul Mode 古代日本旋法による踏歌 19:47
Antico di Giappone (1967)

Three lullabies among the native tribes サハリン島土蛮三つの揺籃歌
on the island of Sakhalin in the 伝承詩
original tongues (1949)

6. bu:lu: bu:lu: (Kilin tribes) ブールー ブールー(キーリン族)06:02
7. buppun lu: (Gilyak tribes) ブップン ルー(ギリヤーク族)03:57
8. umpri ja: ja: (Oroke tribes) ウンプリ ヤーヤー(オロッコ族)02:07

Total time 49:49

Presse / Rezensionen

Booklet-Text

伊福部昭の内なる世界

伊福部昭(1914-2006)はかつてのヒット映画『ゴジラ』のテーマ音楽の作曲者でもある。すでにいくつもの彼の作品を手掛けているアメリカ在住のピアニスト・令子さんが、十数年前、バロックヴァイオリニストの彼女の夫の勧めで、『ギリヤーク』を手に、遥々古楽歌手である我が家を訪ねて来られ、実はそのとき初めて私は彼のことを知った。彼のどの作品もまるでゴジラのごとく大きい。そしてこれらの歌曲もまた壮大である。そんな曲が私の声に向いているとは思わない。しかし私は何としても彼の作品を歌いたい思いに取りつかれてしまったのであった。

彼の「大きさ」の正体は何か。古代、人々は祀りごとで酒を酌み交わし、舞を舞い、歌い、戯れ、宇宙/神と一体となろうとした。酒は陶酔の中で神に近づき、対話する為の神聖なものであった。歌と舞とは常に一対であり、人は大地を踏みならし、手足を伸ばし、声を上げ、宇宙の波動と共振した。そしてそれが祈りであった。神道では、心とは実体のない波動。その心がなければ何一つ生まれない。この地球上に存在する物体は全て心の波動、すなわち神の心から生まれたと捉えられている。我々の先祖は心の宿る物体全てに感謝し祈りを捧げてきた。この少なくも縄文の時代まで遡ることのできる伝統の精神を根とするところに、おそらく、伊福部の絶対的な大きさはある。古代アジア民族の伝承歌への感動から生まれたというこれらの曲は、歴史的音楽でもなければ、日本音楽でも西洋音楽でもない。まさに古代人の祈りであり、彼自身の祈りである。 

16世紀以降、急速な科学の進歩と経済成長に共ない自然支配を夢見、自然との対立構造を築いて来た西洋の人間中心的社会を背景に、西洋の音楽は始めと終わりの構図の中で、終止形の支配する和声という縦の性質を持つ調性音楽を発展させて行く。確固たる理論と記譜法を持って整えられた西洋の音楽教育システムは、アメリカを経由し、約200年もの間鎖国していた日本が国を開いた19世紀の始めに輸入される。学校の子共達は皆、初めはピアノに合わせてドレミの音階を歌うのに苦労したと言う話は、今ではウソのようだが、西洋の音楽を演奏して初めて文明国西洋に並ぶことができると考えた明治政府の政策によって、日本の伝統音楽はことごとく隅に追いやられ、やがて平均率のピアノに洗脳された日本人の耳に、微妙な音程を持つ自国の音楽は異様なものとなって行く。“テクニックこそ音楽の基礎の全て”を植え付けられた演奏家の心と身体は分断され、より大きなホールで、外へと向けて、美しく、より正確に、均等に演奏し、聴衆をアッと言わせることの求められた彼らに、音符と音符の間の世界は見えなくなってしまうのである。20世紀、西洋の理論を基礎とし、そこにみごと日本の言語を融合させた作曲家達が誕生するが、彼らの嘆きは、日本人音楽家のだれも言葉を語らず、譜面だけに夢中だったことであった。

音楽を独学で学んだ伊福部は、西洋の楽器と音符を媒介とし、若いころは別世界の林業に携わりながら、アイヌ民族との接触の中で独自のスタイルを生み出して行く。彼は何と700年から明治まで続いた出雲の神宮の子孫なのだそうだが、彼の精神は、西洋至上主義の時代にあっても常に、高度な東洋の精神文化の上にあった。そこに近代西洋の概念の入る隙は全くない。そんな彼の作品が、これまで一度も非西洋クラシックマナーで演奏されたことがないのは何と残念なことか。彼は古楽にも深い関心を寄せていたが、それは古楽の遥か彼方に、西洋と日本を結ぶルーツを本能的に感じていたからではなかろうか。

時代を、古楽からグレゴリオ聖歌、そしてさらにその基である記譜のない口承伝承のモード聖歌へと遡って歌ってみよう。起点も終止点もなく、連動と豊かな変遷を繰り返えすそれらの音楽は、まさに無限の宇宙の営みそのものである。その絶妙な比率は、決して音符に書き表すこともできなければ、数えようとしても数えられない。西洋伝統のモードの音楽は、秩序ある、しなやかな宇宙の波動に身を委ね、調和することであった。この非言語的宇宙の摂理/モードの原理に焦点を当てた時、東西を問わず、全ての伝統音楽はひとつとなって結ばれる。

この数年、私は常に伊福部の楽譜を手元に置き、彼の音楽はこのモードの原理に基づくモーダルマナーで歌われて初めて意味があるのではないかと考えて来た。そして私の伊福部への挑戦が始まった。よってこれはだれもが考える大きさへの挑戦ではない。私がこれまでモーダリストであろうとしたように、ここでもまたあくまでモーダリストでなければならない。それは限界のない伊福部の内なる世界への挑戦である。

私は23歳の時古楽を学びにオランダへ渡り、まだ言葉もよく分からない、音楽が何であるかも何も分からないある日、恐る恐る足を踏み入れた音楽院の一室に鳴り響く、スチュワート博士の“手の動き”に操られるア・カペッラの音楽に、気も遠くなるほどの感動を覚えたのである。それが私の初めてのモーダル体験であった。東洋視点で古楽の真髄に迫る、実践を踏まえた本格的研究者を私は彼女以外に知らない。それをいつの日か自分の歌の中で実現させたいという思いだけでこれまで歌って来た。伊福部に出会って、私は今、伊福部を歌おうとしている。それは共生の伝統の精神を忘れた現代社会に「ひとつ」を願う、私の精いっぱいの挑戦でもある。

山田千代美


ギリヤーク族の古き吟誦歌  伊福部昭 詩 

壮大な歴史を持つ、古くはアジア北東部にあったこの近隣種族の音楽に接した作者が、衰退に傾き、古い伝承も年々失われていくのを現状とする彼らの滅亡に瀕した詠誦のおもかげをいくらかでもとどめたいと考えて生まれた作品である。

1. アイ アイ ゴムテイラ ai ai gomteira 

アイ アイ ゴムテイラとは「それはそれは、困ったね」と云うほどの意。ギリヤークの部落に、オロッコの若者がはるばる嫁探しに来るが、誰も云うことを聴くものがなく、すごすごと帰るのを、冷やかしやじる唄。ギリヤークは、近隣のツングーの中で、自分達の種族の女が一番美しいと自負している。

アイ アイ ゴムテイラ
おどろのしたを はろばろと
おどろのしたを はろばろと

アイ アイ ゴムテイラ
捜述(つまどひ)こしも あだなりし
捜述こしも あだなりし

アイ アイ ゴムテイラ
あはれ下恋(したこい) オロコひと
あはれ下恋 オロコひと

アイ アイ ゴムテイラ
ねをのみ泣きの おろおろの
ねをのみ泣きの おろおろの

アイ アイ ゴムテイラ 
大索(おほあなめぐり) あだなりし
大索 あだなりし

アイ アイ ゴムテイラ
あはれ片燃(かたもえ) オロコひと
あはれ片燃 オロコひと

2. 苔桃の果拾ふ女の唄 ujungajujana

苔桃とは、真珠ほどの赤い果で、ギリヤークの生活には欠くことのできない食物であるが、また、女達はこの果で赤い酒を醸し、男たちを喜ばせる。この歌は喜んでくれる男は既にこの世に亡く、苔桃の実る秋が再び訪れたけれども、今は、只むなしく果を摘まねばならぬと、凍原に嘆く歌。ウユンガユヤナとは、この種の嘆きを表す詠歎詞。

霧(いさらなみ)たつ オタスの野(ぬ)のべに
赤き 苔桃の果はうれぬ 
われひとり かひなく 摘む
彼(あ)ひと いまは亡ければ ウユンガユヤナ 
霧たつ オタスの野のべに
赤き 苔桃の果はうれぬ ウユンガユヤナ
3. 彼方の河び takkar

冬は凍結した河を渡って、ひそかに逢瀬を楽しむこともできたが、春となって凍りは消え、今は、それも叶わぬと嘆く唄。

氷(つらら)いる ホロナイの
はるか あなた河びに
今し とぼりぬ われをまつ灯
セーニョイラ セーニョイラ

うまし 今宵も 星づく夜
夫(つま)に しぬび ひ,氷渡らむ
セーニョイラ セーニョイラ

数逢(みえしら)がりし 冬も去り
ホロナイの氷消ゆ
セーニョイラ セーニョイラ

霧(ほのより)けぶる 夕まぐれ
恋ほし 灯(ほの)かげ かげらえど
今は えゆかず
セーニョイラ セーニョイラ


4. 熊祭に行く人を送る歌 lokoru:ja

熊祭は、厳冬に行われる彼らの最も重要な祭礼であるが、式に当たって、熊を射殺する役は他の部落の者が行い、この役に選ばれることは大変な名誉とされている。この歌は、射人に選ばれた人を送る壮行の歌である。ロコルーヤとは「しっかりやってこい」と云う意、オロムコーラ・ホノボーヤとは、「さらば」と云う意味であるが、かなり格式ばった言い回しである。

ロコルーヤ ロコルーヤ

射人(いあびと)に えらばれしなれ,汝よ
天(あまのたむ) 酒(さけ) くみて舞へや
うたへや 舞へや うちあげや
遠別(とほつあかれ)の いでたちに
ロコルーヤ ロコルーヤ
ロコルーヤ ロコルーヤ

オロムコーラ ホノボーヤ

5. 古代日本旋法による踏歌(1967)ギターソロ

ギター曲「古代日本旋法による踏歌」は伊福部の息子、極氏に書かれたもので、作者自身による細かい運指が付いている。踏歌は、鼓と琴を伴う7世紀の歌舞で、これを基に作られた四つの楽章から成るこの舞曲の冒頭にはそれぞれ短くテンポの遅いイントロが付いている。副題のイタリア語「カンティレーナ・バラビーレ/踊りの歌」からは踊り手が跳躍する軽快な舞曲をイメージしてしまいそうだが、踏歌と言えば、足で地面を踏みしめる、重く、テンポの遅い舞曲で、動きは西洋の舞曲とは全く異なる。多くの断片がほんのわずかの変奏で繰り返されながら進む、長いこの曲に、私は常に新しいものを生み出そうとして廻りくる永遠の成長の道を感じる。張力の弱いガット弦の19世紀ギターは、その微妙な移り変わりをモダンギターよりはるかによく描いてくれるのではなかろうか。

オリジナル パノルモギター(1829年作、佐藤豊彦所蔵)使用

6. bu:lu: bu:lu: (Kilin tribes)

lu: lu: lu:
nura nunki omorğe
bulu: bulu: bulu:
omon djor elan dekin
tonğa njogon nadani djoko
bulu: bulu: bulu:

7. buppun lu: (Gilyak tribes)

itik nonka
tsiu tsiu kokkaja
pilika nixvn mura
ğafus ninarza


ブールー ブールー(キーリン族)

ルー ルー ルー
寝(ね)よいね,寝よ稚(いと)けきをうなご,女児
臥(こや)れ やすらかに
一(ひと) 二(ふた) 三(みい) 四(よ)
五(いつ) 六(むに) 七(なな) 八(や)
臥(こや)れ やすらかに


ブップン ルー(ギリヤーク族)

父の子 世継(おほいこ)
さ寝よ やすらかに
猛き くわざ,冠者となり
野(し)獣肉(しむら)もて吾を養へ

8. umpri ja: ja: (Oroke tribes)

guze ulari kanatsi
sinianani gosihasoka
guze ulari kanatsi
siniğa busi goeka
guze ulari kanatsi
bubu : bubu :
bara bara appanji so
bu: bubu: bubu:

ウンプリ ヤーヤー(オロッコ族)

愛し(かな) わらは女(め)
齢(よ)は 幾としなみぞ
愛し わらは女
小字(わらはな) 何ぞ
愛し わらは女
寝(ね)よ 寝(い)ねよ
今し 落つれ やすけき うま寝(い)に
ねよ いねよ

Informationen zur Aufnahme

Recorded July 11-13, 2017

Recording location: Kirishima International Concert Hall “みやまコンセール” (Japan)
Balance engineer & recording producer: Jonas Niederstadt
Corporate Design: Tim+Tim, timandtim.com
Cover photography: Simon Keckeisen
Translation of song texts: Junko Nagiyama
Translation of liner notes: Miki Satoh, Jonas Niederstadt
Booklet photography: Jonas Niederstadt

© 2018 Carpe Diem Records